※このブログは私の子供が大人になったら伝えようと思っていることの覚書です。
書ききった後に考えが変わる可能性もあります。
たまたま見かけてしまった人は参考になるか分かりませんがお楽しみいただければ幸いです。
さて、前回ラーメン食ってから続き書いておこうと思ったが寝てしまった。すまんな。
前回は中学生時代だったから続きを書いていこう。
高校生時代
中学時代は人間関係で色々あったが、学区内で1番偏差値の高い公立高校に受かったのでそこに進学した。
もう20年以上前のことだが、私の進学時は学区制限が緩まった年で、学区内75%、学区外(学区問わず)25%の合格率だった。
若干心配していたがまあ受かって良かった。
つーか今見たら東大合格40人とかなのね。私が在学中は、東大はせいぜい5人ぐらいで、10人もいれば大豊作の年って感じだったが…。
まあ私がいたころはもっと行事に力入れてる高校だったからな。素養はあるが勉強しないって感じの高校でそれが好きだった。
多分今の母校には合格もできないし馴染めもしないんじゃないかな。
さて、中学時代に人間関係で苦労したといっても、高校では同じ中学の人は10人程度だ。
とは言え本人としてはトラウマが払しょくできていないため、積極的に人間関係を作ろうとすることはなかった。
だが、ある程度コミュニティに所属しないと学校生活に支障をきたすのも知っていたので、軽音部(同好会)に入ることにした。
楽器は弾けるからな。ただ、キーボードではなくベースをやることにした。
ギターやドラム、ボーカルはやろうとする人も多いけど、ベースをやろうとする人はあまりいないので、需要があるだろうと見込んでのことだ。
低音が好きってのもあるが。
高校は人間関係に注意して無難に過ごそうとしていたと思う。(できていたかは知らないが)
バンドも組めたのでそこそこコミュニティには入りつつ、行事も無難にこなしたのではないかな。
今思うともう少し高校生活を楽しむ方向にいってもよかったと思うが、療養もしていたからいいのかなとも思う。
これでも当時は結構楽しめていたしな。
文化祭ではバンドの演奏をして、体育祭は無難にこなしていた。
1年の時は学校の伝統で文化祭で女装して踊ったから可愛い踊りも踊れるぞ。(かわい子とか言ったな)
かわい子と同時にカッコいい踊りも踊ったからダンスの基本は分かってる…のか?
それからダンスにハマる学生も多くて、後夜祭で毎回ダンスを披露する人もいたな。私は基本バンドだったから見て楽しませてもらってた。
あと3年の時にたまたま同じクラスになった奴とは今でも繋がりがある。分からないもんだね。
1~2年の間は高校生活を楽しんで、3年になったら本格的に受験勉強を始めた。
1~2年であまりにも勉強しなかったせいで、2年の2月頃から、受験勉強するために机に向かう練習をしたのを覚えている。
机に向かってゲームしたり漫画読んだりしてただけだが…。
塾は代々木ゼミナールで得意な生物の授業だけ受けて伸ばしつつ、他は自分で計画立ててやってた。
高校入学当初は獣医になろうと思って獣医学科のある大学をピックアップしていたが、3年11月ぐらいの模試でE判定(ほぼ合格不可)の結果を受けて、自分が浪人してでも獣医になりたいのかを改めて考えた。
結果別にそこまで獣医にこだわっていたわけではなかったので、現役で受かりそうな(それでもD判定だったが)農学部に変更し合格した。
まあ私は本番に強いタイプだからな。
今偏差値見ると58~65となってるが58は低すぎじゃないか?62ぐらいはあると思ってたが、まあ平均値はそのあたりだからそんなもんなのかな。
大学生時代
無事大学にも現役合格して、晴れて勉強から解放されることとなった。
大学時代に学んだであろうことは何も覚えていない。なので私の学力は高校卒業が保証されるぐらいだ。
大学時代は馬術部に所属していた。入部したのはオープンキャンパスを見学した時に学内を人馬が歩いていたからなんだよな。
素直に楽しそうだなと思ったから大学に受かったら入部しようと思ってた。
高校時代の修学旅行や、結婚式で見直した幼少期のアルバムで、馬やポニーに乗ったことがあって、何となく楽しかったのを覚えていたのもあるかも知れない。
そんなわけで、大学入学⇒即馬術部見学からの入部って感じだった。
馬術部に入部したのはいいが、活動内容は馬の世話が9割りで乗馬は1割程度だった。
朝は5:00から馬の世話をして運動して、8:30になったら大学の授業、昼休みは馬の世話をして、夕方も馬の世話をする。
馬馬馬…私の大学生活は馬が中心になった。
夜は馬の餌代などを稼ぐためにバイトをしたり、先輩やOBの無茶ぶりで徹夜で麻雀したり(点5)、深夜2時にカラオケに連れてかれたりしたものだ。
休日は監督やコーチが来て厳しい練習が行われるし、競馬場のバイトなどで馬の餌代などを稼ぐのは続く、
しかも私の懐には1円も入らないというおまけ付きだ。
今思うとブラック企業よりもずっとブラックだった。
11人いた同期も1年3ヶ月もすれば半分ほどになり、3年になった時に残っていたのは3人だ。
その分濃密で楽しい時間を過ごしたと思ってるが、もっと旅行とか恋愛とか大学生らしいことしておけばよかったかなとも思ってる。
あ、恋愛はしたか、4年生の時に。まあ自分から追っかけたわけじゃないのもあってか、よく分からんうちに始まってよく分からんうちに終わった感はあるがね。
さて、馬術部での活動では関東大会、全国大会にも出場した。総合馬術でツースターが踏める程度には乗れていたのは自慢かな。障害は120、野外走行はなんとか帰って来る程度ってとこ。
旧姓でフルネームを検索すれば大会の結果が出てくるけどあんまりいい結果なかったわw
大学時代≒馬術部という結果になったが、私としては一生の経験になったと思ってる。
仕事の基本のようなものも学べたし、パワハラ耐性やブラック体制もついたし、何より就活の面接では話題に事欠かなかった。
馬術の話題は面接官の食いつきが違うからな。それに全国大会にも出てるからしっかりした活動したのは裏付けあるし。
新卒で入った会社は人事の人と馬術部のことしか話してないけど何か受かってたって感じだった。研究の話とかでなくてほんとよかったわ。
あとがき
今回はこの辺で、それぞれの時代のエピソードをもう少し肉付けした方がいいのかもしれないけど、それやると完全に特定できちゃうからここまでかな。
次からは社会人編だな。ちょっと出かけてくるわ。