日本人なら武士道が好きだという方も多いでしょう。
私もその一人ですが、こと転職を考える際に、この武士道が邪魔をしてしまうことがあるように思います。
「死ぬことと見つけたり」で有名な武士道ですが、「忠臣は二君に仕えず」という価値観は、今でも強く残っているように感じます。
ですが、現代でも有名な武士道は、江戸時代に培われた価値観です。
その証拠に織田信長や豊臣秀吉、徳川家康を代表とする戦国時代(安土桃山時代)では裏切りも横行していました。
この話をすると、「江戸時代は平和で戦国時代が野蛮だったのだ!」と裏切りを野蛮な行為として咎める人が多くいます。
ですが本当にそうでしょうか?
単純に、江戸時代のような平時と、戦国時代のような非常時では、最適解が違うだけなのが実情でしょう。
今回は、変化の激しい現代において、転職するかどうかを迷ってしまう人に、同じように変化の激しかった戦国時代の価値観を知ってもらおうと思います。
この記事をご覧の方には「仕事なんて所詮は金もうけの手段にすぎないということを忘れてはいけない」も参考になります。
いい大学を出ていい会社に就職すれば将来安泰、ひと昔前はこんな時代であったことすら、若年層には信じられないかもしれません。
実は、江戸時代も同様の価値観が支配していた時代でした。
この時に広まったのが現代の武士道と言ってもいいでしょう。
まずは、江戸時代の社会について簡単に説明しておきます。
徳川幕府の治める江戸時代は変化の少ない時代でした。
どれだけ変化する要素がなかったかは下の箇条書きを見れば明らかでしょう。
領主が変化しないということは、現代に例えれば政権が変わらないのと同じです。
さらに、身分や職業にも変化がなく、武士の子は武士、農民の子は農民と決まっていました。
選挙などでの政権交代が起こらないばかりか、職業選択の自由すらなかったのです。
しかし、「変化しない≠貧乏」で江戸時代には経済が発展しています。
明治維新後に日本が世界的に類を見ない経済発展をした基礎が江戸時代に作られたと考えて間違いありません。
戦国時代と江戸時代を比較すれば分かる通り、権力闘争を含む内戦は、多いより少ない方が経済発展をしやすくなります。
現代でも第二次安倍政権による経済政策は好調と言えるでしょう。
さて、このような安定している社会では、変化はむしろ忌むべきものとされます。「忠臣は二君に仕えず」という価値観もこの頃に定着したものだということも分かります。
参考資料:Wikipedia-江戸時代
一方、織田信長や豊臣秀吉が活躍した安土桃山時代はどうでしょう。
この時代は大大名の今川義元が尾張の小大名である織田信長に討ち破られるほど不安定な時代でした。
今川義元を破った1560年の織田信長は尾張を束ねる小大名にすぎません。
上杉謙信、武田信玄、毛利元就などの大大名は既にこの頃広大な領地を確保していました。
桶狭間の戦いは、現代で例えるなら、GREEが任天堂の純利益を超えるぐらい衝撃的なことだと考えて差し支えありません。
なお、桶狭間の戦い(1560年)当時の勢力図は「織田信長が偉大過ぎるという日本地図。戦国時代地図を10年ごとに見ていった結果!!※現在リンク切れ」に分かりやすくまとめられていました。
さて、織田信長や豊臣秀吉が活躍した戦国時代において、裏切りは当たり前のことでした。
むしろ、調略によりいかに相手を寝返らせるかは、最初に考えられることでした。
これは戦国時代の大名の気持ちを考えるとすぐ分かります。
戦国時代において、無能な主君に仕えることは、文字通り死を意味します。
こんな状況で「忠臣は二君に仕えず」などと言っても犬死するだけです。
さらに、当時の死は一族郎党の死とほぼ同じ意味でした。
血縁者全員が死亡するぐらいなら、むしろ主君を裏切るというのは、合理的な考え方なのです。
戦国時代では裏切りが当たり前だったとはいえ、頻繁に裏切る家臣が信用されないのは当然です。
当時は、裏切り者を最も過酷な戦場に就かせるのが一般的でした。
激戦地での一番槍などに就かせることが多かったようです。
ただ、撤退時の戦線を維持する殿(しんがり)では、敵方に寝返った時のリスクが大きいので、信頼できる武将が担当することが多いでしょう。
この時の主君は、裏切り者が生き残れば優秀な武将として報いればよく、死んでしまったらそれまでと割り切っていたでしょう。
裏切り者としても、ここで活躍しなければ一族郎党皆殺しですから、文字通り命を懸けて戦うことになります。
裏切りも双方にメリットのある行為なのです。
主君を裏切ってなお出世した大名も数多くいます。
そもそも、多くの大大名は元は主君の裏切りから発生していることが多く、斎藤道三や織田信長、毛利元就や武田信玄も、広い意味では裏切り者です。
また、加賀百万石で有名な前田利家も、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を裏切っています。
これは関ヶ原の戦いでいう小早川隆景に匹敵する裏切りですが、前田利家はあまり悪く言われませんね。
関連記事「会社が帰属意識を求めてくることの滑稽さについて|仕事はお金を得るための手段」
ここまでくれば気付いた人も多いでしょう。
現代の50代以上が経験した、完全終身雇用における経済発展と、今、私たちが直面している大企業すらあっさり潰れてしまう不安定な社会は、江戸時代と戦国時代の違いに非常に似通っています。
若年層は信じられないでしょうが、ひと昔前は終身雇用がしっかり保証されていました。
どちらかというと、大企業が苦しんでいるのは、終身雇用を保証できそうにない40代から50代の社員をどう処分するかでしょう。
一時的とはいえ、当時はひたすら頑張るだけで、生涯の収入が約束されていました。
程度の差こそあれ、みんなが豊かになれるうちは、終身雇用も機能していたのです。
単純に金の切れ目が縁の切れ目というだけの話ですね。
まだほとんどの大企業が認めていませんが、既に終身雇用は実質的に崩壊しています。大企業ですら簡単に潰れる時代ですし、多くのベンチャー企業も台頭しています。
ここ最近有名になったベンチャー企業だけでも次のような企業があります。
こういったベンチャー企業の台頭は、さながら織田信長や豊臣秀吉の台頭に通じるものがあるでしょう。
江戸時代から戦国時代になったと言うと、時代に逆行しているイメージが付きがちです。
なので、本来なら江戸時代から明治維新に移行したと表現した方がよかったかもしれません。
ただ、戦国時代の方が多くの人がイメージしやすいと思って採用しました。
関連記事「新卒一括採用の弊害と日本の雇用制度の歪みについて」
今は例えるなら戦国時代です。古き良き江戸時代はとうに過ぎ去ってしまい、群雄割拠の生き馬の目を抜くような社会になってしまいました。
つまり、変化が早く安定しない社会になったということです。
戦国時代では無能な指揮官についていけば死ぬだけです。
そのため、裏切りも合理的な手段となります。
同様に、将来性のない会社に居続けることは、将来路頭に迷うリスクを押し上げます。
こういった状況では転職も一つの手段ですし、身を守る術にもなります。
また、変化の早い時代では、安定志向でいることがリスクの低減につながりません。
いざとなったら転職するという心構えが非常に大切なことなのです。
関連記事「【就活生向け】大企業と中小企業で働くメリットとデメリットについて」
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昔は、仕事をするならある程度の規模の組織であることの方が有利でした。
なので、多少損であっても会社員として働いた方が結果として得でした。
ですが、今では組織の大小が必ずしも成果に直結しなくなってきています。
会社組織の運営や、そのあり方について、もう一度よく考えなければいけない時代になっているのかもしれません。
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もしかしたら会社が倒産してしまうかもしれませんし、ある日突然リストラされることになるかもしれません。
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このページをご覧の方には「35歳までに2回の転職をおすすめする理由」も参考になります。
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