もうすぐ子どもが生まれる身としては、自分の子どもには、最低でも自分と同じぐらいの学力は身につけてもらいたいと思うものです。
ただ、生まれるのが女の子なので、学習に対して意欲的になりすぎるのもよくないかもしれない、とは思っています。
ただ、自分の望む人生を生きるためには、知識や知恵があることは重要だと思っています。
男の子と違って、他人にその実力を見せるかどうかは別でしょうが、女の子だからといってバカでもいいとはならないはずです。
今回は勉強ができる子どもに育てるために親ができることについて考えました。
この記事をご覧の方には「今の時代に学校は子どもに行かせる価値のある場所なのか?」も参考になります。
絶対とは言い切れませんが、親が勉強できる場合は、高確率で子どもも勉強ができる子になります。
その一つはIQの遺伝、もう一つは生活習慣の引継ぎとなるでしょう。
学習能力の高さを測るのに、IQの高さは一つの指標になるでしょう。
IQは遺伝的な要素が強いため、両親のIQが高ければ、子どものIQも高くなります。
IQは例えるならパソコンのスペックです。IQが高い≒最新の機種、IQが低い≒旧式の機種と考えれば分かりやすいでしょう。
最新のPCならたくさんのタスクを開いても、サクサク動くでしょう、一方、旧式のPCでは、一つのタスクを開くのが限界で、動きも最新PCに比べて遅いかもしれません。
ただし、どのようなタスクを開くのかは、その子本人の資質が関係してきます。
いくら計算が早いPCでも、役に立たないことを計算させたのでは意味がないのと同じです。
重要なのはどんなタスクをやらせるのかです。
勉強はサッカーや楽器などと同じく技術です。サッカーの練習を一切せず試合に出るサッカー部員や、楽器の練習を一切せずにコンクールで金賞を取る吹奏楽部員はいないでしょう。
何事も、訓練しなければよい結果を出すことはできないものです。
親が勉強に対していい考えを持っていないなら、子どもだって勉強に真剣に取り組むことはないでしょう。大人が勉強しないのに、子どもに勉強を強要するのは、理にかなっているとは言えません。
思えば私の親は、部署の配置転換があれば、新しい部署に関連する書籍を10冊程度読んでいましたし、高校時代には化学知識を尋ねられることもありました。
本を読むのも当たり前だったので、読書に対して特別苦手意識を持つこともありませんでした。
親がどのような環境で暮らしているかは、少なくとも幼少期の子どもの学習意欲に影響を与えるのだと思います。
幼少期の学力が大切な理由の一つに、勉強ができない子どもは、共通して九九ができていないことが挙げられます。
私が大学生の時、小遣い稼ぎに個別指導塾でアルバイトをしていたことがありました。
その時に、中学2年生で1学期の数学の中間テストが30点だった子を担当したことがあります。
授業態度や課題を含め、基本的に授業態度がまじめな子だったので、なぜこの子がテストの点が悪いのか不思議に思ったぐらいいい子でした。
練習問題をやらせてみて分かったのは、九九がおぼつかなかったことでした。
それからは、中学の数学の範囲は完全に無視し、四則の計算(足し・引き・掛け・割り)をひたすらやってもらいました。
それだけで、1学期の期末テストでは40点、2学期の中間テストで50点、期末テストで60点、3月の学年末テストで70点と、めきめき成績を伸ばしていきました。
このように、勉強が苦手な子には、小学校低学年で習う単元を理解できていないケースも多いのです。
学習の基本は読み書きそろばんです。まず、問題文が読めるかどうかに全ての教化の点数が左右されます。また、算数や理科では計算能力の高さや正確性が、そのままテストの点数に直結します。
なので、基本となる読み書きそろばんができていないと、早ければ小学校低学年から、遅くとも中学生になってから、勉強で伸び悩むことになるでしょう。
関連記事:勉強の基本は「読み書きそろばん」|国語と算数はやっぱり大事
私立中学に進学する子どもは、例外なく親が教育に熱心です。
中学受験を目指すほとんどの子どもが、それなりの成績になることから、小学校低学年までの間は、親のサポートで学力を高めにすることは可能だと考えています。
私の親も、中学受験こそさせませんでしたが、毎日漢字の書き取り、教科書の音読、計算練習を15分~30分程度やっていました。
この時の監督は母親でしたが、読み書きそろばんが重要だという認識で、私に教育の基本を教えていたようです。
おかげで、学校の音読では先生にほめられ、計算も得意になりました。当然、テストの成績もよく、スタートダッシュを決めるのに十分でした。
こういった事例を出すと、「子どもに強制させてまで勉強させたくない」という意見も出てくるでしょう。
しかし、教育とはある種の洗脳であり、まともな人間になるための強制(矯正)でもあります。
これは動物などでより顕著となります。基本的に、動物は楽をしようとして苦労を避けようとします。
訓練された馬が障害を飛んだりしますが、訓練していない馬なら、障害など飛ばず、避けるように動きます。
野生の動物にとって、苦労は無駄であり、避けるべきものだからです。
そういった意味では、役に立つかどうかも分からない知識を学ぶことは、野生でいえば無駄なことになるでしょう。
したがって、子どもが勉強をやりたがらないのは、ある意味自然なことです。
ある程度強制的に取り組ませることで、耐性をつけるというのが正直なところでしょう。
幼少期は、私も勉強はやらされるものでしたが、小学校の中学年にもなれば、自分から進んで学習していました。
というのも、分かるから苦手意識はありませんし、テストも100点ばかり取れるので、ゲームのスコアアタックのように楽しめたからです。
勉強が強制的にやらされるものである限り、本人のやる気には限界があるでしょう。自分から進んでやれる”楽しい”ものにする工夫は必要です。
勉強は一度躓いてしまうと、遅れを取り戻すのが大変なのです。
九九で躓いてしまった子が、その後ずっと勉強を苦手とするのはよくあることです。
また、普段から教科書の音読をしていなければ、授業中に教科書を読むたびに、つっかえてばかりになってしまい、自信をなくしてしまうことがあるかもしれません。
大きな差が出ていない小学校低学年の間に、少しの努力をするだけで、ある程度の学力・学歴が決まってしまうことだってあるのです。
学校での勉強も、毎日の授業で分からないことがなければ、特別な勉強すら必要ありません。
小学生時代の私は、特別テスト勉強などしていませんでした。中学に進学してからも、テスト前の1週間で範囲を確認すれば、全教科で90点以上が取れるぐらいでした。
勉強は毎日の積み重ねが大きいです。毎日1km歩くのはさほど苦痛ではありませんが、100日サボって1日で100km歩けと言われれば大変です。
テスト前の一夜漬けが身にならないのも、こういった理由が大きいでしょう。
この記事をご覧の方には「子どもを私立中学校に進学させるメリットとデメリット」も参考になります。
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